ニホンオオカミ絶滅の日🐺
ニホンオオカミ絶滅の日🐺

2026年1月23日金曜日
ニホンオオカミ絶滅の日🐺
今から121年前1905(明治38)年の今日。
奈良県にて最後のニホンオオカミが捕獲され、絶滅した日とされています。
ニホンオオカミと言えば、太古より「山の神」や「真神(まがみ)」とも崇められており、
日本の山野における生態系の頂点捕食者でもあったそうです。
では、そんなニホンオオカミがなぜ絶滅してしまったのでしょうか?
今日はその題材を深堀して記事にしたいと思います💡
ニホンオオカミは
・約5万7千年前から3万5千年前に渡来した巨大オオカミの系統
・3万7千年前から1万4千年前に渡来した別系統
この2つが交雑して誕生したと考えられています。
ニホンオオカミの特徴は日本固有の小型狼で、足が長く茶褐色の毛を持つのが特徴です。
犬に似ていますが頭骨の形態(額の凹みが少ない、裂肉歯が大きい)が異なり
原始的な特徴を持つとされ、シカやイノシシなどを狩り、群れで行動していました。
ヤマイヌとも呼ばれ神話や伝承に多く登場しています。
さて、本題の絶滅した原因を掘っていきましょう🖋️
【1.生息地の減少説】
江戸時代の終わり頃には、すでに個体数は大きく減っていたとされています。
見かけたことがある人は既に少なく、
目撃されれば大騒ぎになり、捕獲すれば見世物になるなど、
すでに希少だったことを窺わせる記録も残っているそうです。
そんな江戸時代、現当時は自然が豊かだったと思われがちですが、
実際には材木利用などでハゲ山になるほど伐採が進んでいた地域も多く、
生息域の減少は少なからず影響したでしょう。
ただし、明治初期には蝦夷地や奥州での記録もあり、
これだけが決定打ではなかったようです。
【2.ジステンバーや狂犬病などの伝染病説】
江戸期ニホンオオカミの個体数を多く減らした要因は海外から入った
ジステンバーによるものという説もあります。時代背景を考えると長崎経由でしょう。
それに加え、江戸中期から狂犬病が広がり始めるのです。最初の流行は中国地方だったとか。
狂犬病に侵された狼が人を襲ったという記録が多々あり狼駆除に拍車がかかったと言います。
当時の狼が人を襲ったという記録ですが、実際は野犬も多く含まれていたそうです。
藩の記録に「オオカミが市街地で大暴れした」といったような記述もありますが
描写から判断する限り明らかにニホンオオカミではないものも多いそうです。
狂犬病に対して人々が過敏になり、イヌ科に対して
強烈な悪意を持っていた可能性があります。
狂犬病は発症すればほぼ助からない病気で、現代においても脅威です。
江戸期においては感染源の動物は死神同然に扱われていたのかもしれませんね。
【3.人間による駆除説】
江戸期後半から明治にかけて海外の文化が入ってくると、
新たな産業として羊毛の生産が開始されたり、
乳牛の育成と開墾による牧場整備などが進みます。
当然ながら家畜はニホンオオカミにとって好都合な捕食対象でした。
新たな産業として芽吹き始めた酪農や羊毛生産を推し進めるには
ニホンオオカミは邪魔者でしかなく、行政も報償金を出して駆除政策が展開されました。
明治期の文明開花により北海道開拓。現在の日高エリアなどは
新たな馬産地として馬の育成事業が展開され始めていたのですが、
記録では、10日ほどで子馬90匹が全てエゾオオカミ
(ニホンオオカミとは亜種の間柄)によって食い殺されたという記録も。
結果、アメリカから入ってきていた
「硝酸ストリキニーネ」という毒薬が使用されるに至ります。
生肉に混ぜて野にばらまき、駆除しました。
エゾオオカミだけでなく、多くのキツネなども犠牲になったそうです。
このようにニホンオオカミの絶滅は複数の要因が複雑に絡み合い長期に渡り、
徐々に減少していったように思えます。
時代の背景等を考えると仕方がない、多少の犠牲も付き物だ。ということでしょうか。
生物に限らず、日々著しく便利になっていくこの世の中で多くのモノが
過去の産物、遺物と化していますよね。今私たちが当たり前のように
利用しているモノたち、目にして共に生きているモノたち、景色を
どれだけのモノたちを残し、後世に繋げ、みせてあげることが出来るのでしょうか。
