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郵便制度施行記念日🏤

郵便制度施行記念日🏤

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2026年1月24日土曜日

郵便制度施行記念日🏤

1871年(明治4年)の今日、「郵便規則」が制定されました。
同年3月1日から、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始されたそうです。

それまでは飛脚便に頼っていたそう、ということで!
本日は郵便・飛脚便の歴史について記事を書こうと思います💡

日本での配送業・運送業のはじまりは飛脚便

飛脚とは、手紙、金銀、荷物を人馬(徒歩や馬)で
目的地まで運んだ手段のことです。

江戸時代の飛脚のルーツとされる「駅伝制」は、
実は古代律令制の時代(7世紀後半頃)から存在していて、
国内の主要道路に一定間隔で「駅」を置き、
そこに人馬を備えて交通網を維持していたと記録にあります。

ただし、現在の郵便のように誰もが使えるわけではなく、
主に公用に使われていたようで、その後は一時的に廃れたり、
戦国大名が独自の交通網を整備したりと変化していきます。

そして江戸時代に入ると、
徳川幕府の手により全国の街道の整備が本格化され、「宿駅伝馬制」が確立。
各宿場が用意する人馬の数も細かく定められ、
輸送や通信の手段として飛脚が制度化されたのです。

そのため、「飛脚=江戸時代」というイメージがついたのでしょう。

1人の飛脚が走る距離は決して長くなく、せいぜい10km程度だそうで、
現在の駅伝競走も、1人のランナーが5km~10km、大体同じ距離ですね。
名前から想像がつく通り、駅伝競走のルーツは飛脚や駅伝制にあります。
箱根駅伝などを観戦する際、飛脚の姿を重ねてみるといいかもしれませんね🎵

■江戸時代の飛脚の種類

江戸時代に整備された飛脚には、いくつかの種類がありました。
大きく分けると「公用飛脚(継飛脚)」「大名飛脚」「町飛脚」の3つです。
それぞれの特徴をまとめてみました💡

・公用飛脚
江戸幕府が設けた飛脚で、名前の通り公用を主体とし、
重要な公文書なども運んでいました。
半裸のような服装にわらじを履いて荷物を担ぐという、
時代劇でもよく登場する格好をしていました。
一般的な飛脚のイメージに1番近いのがこの公用飛脚かと思われます。

・大名飛脚
大名が国元と江戸との連絡のために設けていた飛脚です。
公用飛脚に近いものがあったと思われますが、費用がかさむなどの問題があり、
町飛脚が発達するとだんだん廃れていきました。

・町飛脚
民営の飛脚です。一般的な飛脚のイメージとは大きく異なり、
多くの場合は馬を使っていたそうで、荷物の責任者である「宰領」が馬に乗り、
馬を引く「馬方」を宿場ごとに借りて進むというスタイルです。
最も数が多かったのはこの町飛脚で、
公用飛脚とも競合関係にあったと考えられています。

飛脚の方を深堀し過ぎてしまいましたが、、、
そんな飛脚便に頼っていた、江戸時代ですが明治に年号を変えると、
近代郵便制度の創設者である政治家・前島密(まえじま ひそか)の建議により
郵便制度が定められ、まず東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設され、
営業が開始されます。
当時は東京と大阪間を3日と6時間かかって郵便を届けたそうですよ。

その後、郵便役所はさらに横浜・神戸・長崎・函館・新潟と全国展開が図られ、
また、江戸時代に地域のまとめ役だった名主に自宅を郵便取扱所とする旨を要請。
1873年(明治6年)に全国約1100ヵ所の名主が郵便取扱所を快諾したことから、
郵便制度は全国に拡大しました。

前島密はその功績から「郵便制度の父」と呼ばれています。
また、東京郵便役所が置かれた現在の日本橋郵便局には
「郵便発祥の地」の碑と前島密の胸像が設けられています。

今では当たり前に届く郵便や宅配便ですが、
そのルーツに飛脚たちの疾走があったと思うと、ポストを見る目が少し変わりますね。
今日は大切な人に、あえて『手紙』を書いてみるのも素敵かもしれません🍀✉️✨

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